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〒889-3143 宮崎県日南市大字下方874-2
約2万5千年前に姶良火山の大噴火により南九州一帯に巨大火砕流(入戸火砕流)が起こりました。その巨大火砕流の規模は雲仙賢岳の40万倍とも言われ、堆積した火砕流堆積物は場所によっては百メートル以上にもなり、約700〜800度の高熱を帯びて厚く堆積した火砕流堆積物は自重と高熱により溶け、下部ほど圧縮されました。やがて徐々に冷えて固まり岩となり、このようにして出来た岩は溶結凝灰岩と呼ばれ宮崎県内でも各地で産出された。昔はそれぞれの地区名をとって「
○○石」と様々な呼び名があったが、現在は日南地区で産出される溶結凝灰岩を総称して飫肥石と呼んでいます。
ちなみに、その時の大噴火によって出来た陥没に海水が入り、丸い湾になったのが現在の桜島以北の鹿児島湾で姶良カルデラと呼ばれている。この故事を題材とした小説「死都 日本」(著:石黒 曜著)が2002年に刊行され、地質学を元に現在の地名を交えながら過去の大惨事が現代で起きてしまったらというテーマが認められ、同年に数々の賞を受けられました。興味がある方は、是非、一読下さい。
その昔、同じような性質の石が県内の各地で採石されていました。現在のようにコンクリート、又はコンクリートブロックが無い時代、土木工事では当たり前のように間知石が使用されていました。そんな石材業界が好景気の時、全国はもとより県内でも相当数の石工が石山に現場にと活躍しており、最盛期は県南地区でも酒谷川流域に約50名、細田川流域に約50名、串間地区に約50名がいたと聞いています。同じような性質の凝灰岩は当時県内各地で採石されていましたが、残念ながら現在では、清武町の清武石と日南市の飫肥石の2種類しか採石されていません。
飫肥石の用途として、敷地を飾る塀石や敷石、そして墓石や牛の餌入れと幅広く利用されてきました。石屋のいのはたでは、現在でもご注文頂いてから原石の選り分けを始め、一つ一つ石工が細工や磨き加工を行う「自社加工」を行い、お客様に確かな製品をお渡し出来るよう努めております。